2011-03-12

地震 1日後

私は地震の時に、実験室で新しい素材の評価をしていた。
部屋には上司に先輩2人、派遣員1人、合わせて5人いた。

最初の揺れで、おや?と思った。
また東北の方か、と思ったが、今回は大きい。そして長い。
どうやら、自分が思ったよりも揺れは大きいらしい。
実験台の上のサンプル瓶が動き出し、実験器具が動き出す。
感覚的な恐怖が、視覚的な恐怖に変わり、恐怖は倍増した。
私の体は硬直し、言うことを聞かなくなっていた。

派遣員の背後から高さ2mほどのインキュベータ(冷蔵庫の暖かい版)が動き出し、近づいてくる。
「後ろ危ない!気をつけてください」と私は叫びながらも、今にも倒れそうなガラスの実験器具、実験台のサンプル、脚は引き出しから物が出ないように抑えるので精一杯だった。
インキュベータはなんとか近くの先輩が支えてくれた。

人名を助けるのが先決か、それとも自分の持ち場を守るのが先決か、正直わからない。
結果として今回、先輩が傍にいて、誰も怪我をしなかった。
不幸中の幸いだった。

他の部屋も壊滅的だった。
私の階は分析機器が集められているが、ほとんどの分析機器が机から落ちてしまった。
おそらく、チェックするだけでも時間がかかる上に、発注しても納期は遅延するだろう。
分析機器の種類によっては、もう経費で落とせないかもしれない。
とりあえず、状況を確認し終えた。



そんな時、第2波が襲ってきた。



今度は縦揺れだった。
ガツン!と大きな衝撃が来る。
危険な物、高価な物は既に退避させてある。
ひとまず、廊下に出てやり過ごす。
揺れ収まった時、家族には「ぶじです」と短いながらもメールを送っておいた。
群馬にいる親は大丈夫だろうか。

廊下の奥でシューーーッというガス漏れの音が聞こえてきた。
うちが扱っているガスは水素、ヘリウム、窒素、液体窒素。
水素なら大惨事だ。
ラインを急いで見て回る。
ガス漏れ音に近づいていく。
そこでは最悪の事態が待っていた。




NMRが斜めに倒れかかっている。
操作盤に支えられてなんとか保っているが、また揺れたら完全に倒れてしまうだろう。
天辺から液体窒素が漏れ、部屋が凍っている。
NMRは超伝導磁石が内臓されているため、身に着けている電子機器を急いで外す。
NMRを立ち上げようとするが、天井まである高さの金属のタンクはさすがに重い。ビクともしない。
「装置を止めるぞ」
「操作がわかりません」
「○○さん、呼んできて!」
「窒息するぞ、窓を開けろ!」
「窓なんてない!部屋を開放状態にしろ」
状況が切迫してくる。いつ次の地震が来るかわからない。
かなり危険な状態である。

私はNMRの裏に回り、押すようにNMRを立ち上げにかかる。
液体窒素の雨が降ってくる。
同じ部屋なのに、NMRの裏と表ではこんなにも体感温度は違うのか。
汗がドッと出てくる。酸素濃度が薄いからなのか…
NMRは立ち上がった後も液体窒素は漏れ続けた。
気づけば私の手は凍傷になっていた。

部屋を出ると火災報知機が鳴っていた。
しかし、私には火災報知機が地震の終わりを告げたようで、何故か安心した。
私は生きている。
他のメンバーも生きている。

帰る途中では電柱が倒れていたり、バス停が傾いていたり、液状化現象で道路に地下水が入り込んでいた。
まずは何から片付けていこうか。
気持ちからか、それとも現実を直視することからなのか。

とにかく、今回のことで反省点はたくさんある。
ただ、次の地震に物理的に備えることはできても人間の心理的な部分では備えはできないだろう。
自然災害の前に人の力など儚いものなのだ。
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プロフィール

レオ・K・タイム

Author:レオ・K・タイム
職業:リーマン
バイク、カメラ、ロードバイク、旅行、冬スポーツetc

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